マイストーリー

ピアノをはじめたきっかけ

幼い頃、幼稚園にヤマハの音楽教室が開講されたのですが、体調や家庭の事情で入れず、とても残念だったことを今でも覚えています。
その思いをずっと話していたからか、小学2年生の冬、父が私を不憫に思い、電気オルガンをプレゼントしてくれました。
当時はまだ足踏みオルガンが主流の時代。
「つらいとき、音楽が心の支えになるように」との父の願いもあり、家の斜め向かいの銀行に勤めていた女性にピアノを習い始めました。お宅にはいつもクラシックのレコードが流れ、憧れの時間を過ごした記憶があります。
その先生は間もなくご結婚され、短い期間のご縁でしたが、お別れの時にいただいたハノンとチェルニー30番の楽譜は、今も私の宝物です。
なんと今は、その先生の義理のお姉さま(86歳)にピアノを教えるというご縁もいただいています。

学生時代

私が小学生・中学生の頃は、ピアノが女の子の一番人気の習い事。
音楽が大好きで、小学校では鼓笛隊(小太鼓担当)、中学では吹奏楽部でクラリネットを吹いていました。
短期間で音が出せるようになり、先輩に褒めてもらったことは、今でも忘れられません。
高校では普通科に進学しましたが、合唱部は全国大会常連校で、まわりには東京までレッスンに通うような実力派の友人もたくさん。そんな中で、私は水泳部に所属しながら、朝・昼・放課後にコツコツとピアノを練習していました。
音楽一本という道ではなかったけれど、ケガをしない運動で体力をつけられたことは、今思えば大きな財産です。
大学受験では希望していた国立大に届かず、地元の短大ピアノ科に進学。
物足りなさを感じつつも、与えられた2年間を必死に駆け抜け、専攻科へ進み修了演奏会にも出演。卒業後は先生の推薦でオーディションを受け、新人演奏会にも出演することができました。

その後

卒業後は音楽教室で3年間働き、その後は自宅でピアノを教えながら再び音楽教室にも勤務。
しかし、当時の保育時間では子どもを預け続けるのが難しく、自分らしい教室を作りたいという思いから、自宅のみの教室運営に戻りました。
教室の名前は「おたまじゃくしピアノ教室」。音符は“おたまじゃくし”と呼ばれますが、「子どもたちが“かえる”になるまで寄り添いたい」という願いを込めて名づけました。
子どもの成長とともに、その友達やご紹介で生徒が増え、最盛期には50名近くが在籍。
さらに学びを深めたいと保育士資格を取得し、1歳からのレッスンも可能にしました。
保育士としての経験を活かし、7年間は早朝保育も担当。
リトミックの資格も取得し、ピアノ・リトミック・保育の3本柱で活動。保育園退職後は保育専門学校でのピアノ指導や、市の育児講座も担当し、現在は再び自宅レッスンを中心に活動しています。
また、以前から興味のあったピアノ教室の運営や保護者との関わり、相続問題にも対応できるようにと、2級ファイナンシャル・プランナーの資格も取得しました。
今はさらに、高齢化社会の中でシニア世代の認知症予防に役立つ「シニアピアノ」に注目し、公民館でのグループレッスンにも力を入れています。
音楽を通じて、心と脳を元気にし、地域のつながり作りにも貢献したいと考えています。

嬉しかったこと

息子が5〜6歳の頃、熊本城の公園で先生に引率される子どもたちを見かけ、「本当は学校の先生になるはずだったんだけど…」とつぶやいたら
「ちゃんとピアノの先生してるじゃん」と返してくれた一言が忘れられません。
それまでは「他の子ばかり可愛がってる」と言っていた息子の、私を見ていてくれた優しい言葉。
父のおかげでピアノを始めることができ、母と息子の支えがあったからこそ、ここまで続けてこられたと感謝しています。
ピアノを通じて、ありがとうの気持ちや、続ける力の大切さを伝えていけたらと思っています。
音楽が、人生の心の支えとなりますように。